2月28日(土)

ネギの丸焦げ焼き



下仁田ネギのような太いネギを丸ごと外の皮が真っ黒になるまで焼き、その焦げた皮を剥いで中のとろっとなった部分を食べる。ネギの甘みが出て美味しく、更には血がさらさらにもなるらしい。
Barcelonaのミゲール家でも一度このネギの丸焦げ焼きを大量に食べたことがある。暖炉に次から次へ並べては焼き並べては焼き、アリオリソースにつけて食べても食べても次から次へ焼き上がる。その他、チョリソー、サラミ、羊に豚にウサギに牛にとスペイン人の胃袋は恐るべし。

伊豆半島の江梨という小さな町にある先生の別荘にて。夏みかん畑に囲まれ、目の前に広がる駿河湾の向こうには富士山が浮かんで見えるという、この上ない絶景。海があり、みかん畑がある風景は瀬戸内の島の風景とよく似ていて、ここへ来るとなんだか懐かしい気持ちになる。そして、何故かバリ島のことも思い出すのだ。




2月22日(日)

豚挽カレー



小春日和の風の強い午後、SIONの「俺の声」を爆音で聴きながらカレーを作る。そう、今ではSIONは調子が悪いときでも良いときでもいつでも気持ちよく聴けるのだ。朝起きてさあSIONという日さえある。

SIONの話ではなく今日は「三番目に大事なもの」の話。実はこの俺も清志郎の「三番目に大事なもの」を恋人に唄って聴かせたか、清志郎の唄声を聴かせたかしたことがある。その時の恋人の反応はまあ島日記に書いてあるような内容と大体同じ、悲しそうな顔をされたのだった。「何がいいのよ、こんな唄なんて」と言われたかもしれない。俺が大好きな曲なのに何故恋人には伝わらないのか、その時はよく分からなかった。「三番目にだい〜じなものがあ〜恋人よお〜、三番目にだい〜じなものがあ〜あなたよお〜♪」と恋人に唄われりゃそりゃ悲しいかなとも反省して、よくよく曲を繰り返し聴いてみると、「三番目に大事なもの」ってのは清志郎が恋人に唄ったのではなく、清志郎が恋人に言われたことを唄ったのだということが分かった。だから三番目は恋人ではなくこの俺なのだ。俺は君にとって三番目なんだよと情けない唄をうれしそうに唄ってその時は何を伝えたかったのか、その唄の愛情を共有したかったのか、よく分からない。

まあとにかく、「三番目に大事なもの」を恋人に送るのはやめたほうがよい。

が、「三番目に大事なもの」は俺の大好きな唄の一つで、今でも聴くとドキッとする。お兄がキャンプでよく唄うときも、他の曲にはない気持ちがこもっていることがよく分かって、まわりはうっとりなのだ。男なんて三番目ぐらいなもんさって、おっと危ない、ノスタルじじいになるところだ。




2月13日(金)

奄美の黒猪赤ワイン煮込み



前日の夜から赤ワインに漬け込んでおいた猪肉を、フライパンで軽く焼き目を付けた後、漬け込んでおいたその赤ワインで煮込む。↓の骨付き煮込みでは泡盛が足りずに失敗したので、今回は赤ワイン2本使用。ワインの香りが肉に染み込んで何とも言えない味、香り。脂の部分はじゅわ〜、それを包み込む分厚い皮はプルプル、そして煮込んでも煮込んでも肉の部分は力強く。コンフィに匹敵するくらいの感動の一品だ。
今夜はchorizにて結局8人も集まって猪三昧。大量の薄切り肉をいろんな味付けで焼く。塩胡椒、生クリームソース、ゴマ油、プルコギ風、焼いても焼いてもまだある。野菜も食わずに肉ばかり食ったが、それでもまだ食いきれず、1kgほどはまだ冷蔵庫の中。

東京にいながら、ここ数日は毎日奄美の黒猪を食す日々。肉といえばイノシシ。




2月11日(水)

奄美の黒猪



「極寒の日にジビエをやろうではないか」とよこおと話してたのが一ヶ月ほど前。ジビエを求めて捜索してみると、友達の知り合いで奄美大島で猟師をしているという人からイノシシが手に入るという。俺はそのイノシシを「奄美の黒猪」と名付けて、到着を待つ。そして今日、阪大医学部から「品名:猪骨」と書かれた宅急便が届く。血の色がきれいなことに感動。お兄の一品ニーニーラフテーのレシピを訊き、それを参考に泡盛で煮込んでみる。部屋中獣臭。自然な臭いっていうの、フルーティーな香りっていうの、山の洞窟の中っていうの、そんな感じ。

肉は美味いんだけど、味付けが下手くそだった。皮のプルプルが最高。
このイノシシは俺がまだ行ったことのない奄美大島の山をつい数週間前は走り回ってたんだなあと想像すると、感動じゃね。感謝。

***
リリーは無事生還、復活し、以前のようにパンに向かってジャンプができるようになったらしい。リリーという犬は本当に運の強いヤツで、そしてみんなからとても愛されていて、今回は危ないかなと思ったけど、たくさんの愛情に助けられたんだなというのを強く感じた。大阪から京都から神戸から淡路から東京から北京から・・・どうもありがとう。

愛する人といっしょにいられないもどかしさというのは、例え相手が犬であっても同じことで、胸がすっきり晴れなのだ。



(c)shuya.ao 2001.06〜