4月13日(火)

朝の一杯



先週、萩のお茶屋さんで「夏茶碗」を買ったのだった。兼田三左衛門という人の作る萩焼は俺の好きなタイプの萩焼で、装飾は何もなく真っ向勝負、手の中にすーっと収まるすばらしい茶碗。そのお茶屋さんのおじいちゃんも兼田氏の茶碗はお気に入りらしく、「ここまですーっとしたのを作れるのはかなりの腕前で。あんた、これ買いんさい。」と。
その夏茶碗で朝の一杯。これが贅沢なのだ。あとは茶室が欲しい。

京都で買った生湯葉に豆乳ホタテ風味スープをかけ、卵の黄身を混ぜる。京都ではお昼ごはんも食べず歩きまわり、やっとたどり着いた第一旭本店は休み、京都駅周辺には美味しいものもなく高島屋の地下でお寿司と出汁巻きと生湯葉を買って新幹線に乗ったのだった。




4月1〜7日

春の萩へ向けての小旅



まずは淡路島へ飛んだのだった。そこで食べた淡路の天然鯛の味は、今まで食べてきた鯛という魚の味を全く考え直させるほどのしっとり上品な味。世の中に出回っている鯛は、ほぼ100%が養殖の鯛で、鯛だと思って味わっているあの味は養殖鯛のの味。この感動は、さぬきを廻ってさぬきうどんをうみゃひゃひゃ食べたときの感動と同じ。
今なら「好きな魚は?」と聞かれて「天然の鯛です。」と自信を持って答えることができる。

恐るべし淡路島。

鳴門大橋、瀬戸大橋を渡り福山へ、そして山口、一の坂川後河原の桜を見て、峠を越え萩へ。

萩という町は何度行っても美しく、劇的な町だ。決して派手さはないし、華やかでもないんだけれど、確かものがあり、頭が良さそうな町なのだ。魚、魚、魚、着いた途端に親戚集まっての宴会宴会。そろそろ採れ始めたもずくが、まだ細いんだけど美味しい。この町で魚を食べてると、他では臭くて食べられなくなるのが理解できる。
数年後かいつになるか、萩の西と東の山にある俺のひい爺ちゃん兄弟の家を受け継ぐ約束をする。どちらも沖縄のウタキのようなスコーンと空気の抜けた気持ちの良い場所なのだ。

今年の夏は萩の灯籠祭りに帰りたいな。

東京への帰り道、京都で途中下車。京都はやはり派手で桜の咲き方までが華やかだ。東福寺から伏見稲荷までの京の町並み家並み。よそ者を寄せ付けない敷居の高さ。疎外感。

旅に出るべし。本物の魚を食うべし。



(c)shuya.ao 2001.06〜