11月11日(土)

ペルー料理教室


ペルー人のおばさんがいつも作っていてくれたセビッチェやチッチャという紫トウモロコシのジュース、今となってはあれは何だったのかよく分からないような料理がとてもとても美味しく、あれをもう一度食べたいなあとRomyがよく話をする。ペルーという国は南米の中でも一番料理の美味しい国だと。ジャガイモもトマトも唐辛子も原産はアンデス。なるほど、学ばなければ、というわけで「ペルー料理教室」へ。


小柄なペルー人のセニョールに群がる老若女女と2、3の若男。初対面の人たちといっしょに料理を作るなんて、何だか小学校のキャンプのようで懐かしい体験。鶏胸肉をボイルし、ジャガイモをマッシュし、卵の白身を泡立てメレンゲを作る。料理は楽しいのだ。マッシュしたジャガイモをさらに捏ね、それを薄く伸ばして鶏とセロリのサラダを包んでみたり、鶏皮はコレステロールが多いからと捨てるわりに、マヨネーズには油をたっぷりたっぷり入れてみたり、タマネギを炒めてそれにクラッカーを混ぜミキサーにかけてみたり、エバミルクとコンデンスミルクでつくるデザートは一口でもうギブアップなほど甘すぎたり。料理は楽しいのだ。

この「ペルー料理教室」は主催がペルー大使館で参加費も無料。とても楽しかった。食べ物はその国の文化を伝えるというわけでもないだろうけれど、食べ物を食べればその国が何を大切にしているのかということが分かるような気がする。料理は楽しいのだ、そして平和なのだ。じゃろう〜。

こんな料理教室がもっともっと広がればええのにねえ。世界の料理を作ったり、郷土料理を作ったり、おばあちゃんの味を作ったり。なあ、ええじゃろう〜。




11月4日(土)5(日)

萩にて


血の騒ぐ萩へ。先日亡くなったお爺様の四十九日法要と納骨のため親戚一同大集合。お墓は萩の浜崎という町にある泉福寺というお寺にあるんだけれど、そのお寺は松陰大先生の吉田家の菩提寺でもあり、小さくボロいながらもこれまた血の騒ぐお寺なのです。法要も式も滞り無く行われ、次は海辺に建つこれまた小さくボロいながらも魚が美味い旅館へ移動。そこは半分海の上に迫り出しているような建物で、窓を開けるとすぐ釣り糸を垂らせるぐらいの良い立地なのではあるけれども、何せボロく60年代か70年代の風貌、玄関には埃をかぶった虎の剥製があるようなそんな感じである。
今の東京からしてみれば、そんなものすぐに壊して建て替えましょうということになるんだが、ボロくても倒れそうでも、埃をかぶっていても使い続けている、そのことが意義あることそいねと松陰先生から教えられたようなそんな気がした。ボロいものをしこしこ直して、使い続ける、そんな仕事をやりたいなあと未来を見た。

そして次の日は萩に来るといつも寄るお茶屋さんへ。81歳になるおじいちゃんが点ててくれるお茶が甘くて美味しく、今年もそのお茶が飲めてうれしい。そのおじいちゃんとは萩焼の趣味がよく合い、いつも何かしらの買い物をして帰る。今回は湯呑みと片口、足の付いたおちょこを購入。また来年。




10月29日(日)

日曜日のお昼


代官山へ予約しておいたケーキを取りに行く。西郷山公園の向かいにある教会の前は今日も多国籍な人々で賑わっている。あそこを自転車で通リ抜けるときはいつも気を使うのだ。雨の予報がハズレ、太陽が出て汗ばむくらい、やはり日曜は晴れて欲しい。

今日は大きいママと姉のちかちゃんを招待しての日曜日のお昼。ビーツとルッコラのロミロミサラダ、カブとトマトのロミロミサラダ、こってりした牛バラ肉の赤ワイン煮カルダモン風味とあっさりした納豆パスタ。サラダと肉を先に食べて、最後にパスタを食べる。その順番の方が日本人の胃には優しいように思うのです。納豆パスタは昔からよく作る一品なんだけど、これにはバターと胡椒、そしてオリーブ油を効かすことがポイントであります。
デザートにはその代官山にあるケーキ屋さんで買ったペリカンマンゴーのババロアを21cmホールで。幸せはここにもあるぞ。

ソファーを見に行った北欧家具屋さんでは値段を聞いてびっくり。9月から10万円以上も値上がりしたという。ひどい話だ。おまけにその店の店員は、「今までが安かったですから、決して高くはないと思いますよ」と鼻が高い。ヨーロッパは北も南も東も西もどんどん物価が上がっているようだ。
あの「ラテンアメリカの住宅」にも載っている、あの南米の皮のソファーを買いにアルゼンチンへ行きたいなあ。



(c)shuya.ao 2001.06〜